tyunen-otoko’s diary

夫婦関係の修復

20.価値観の違いってどういうこと…。

離婚の原因となる価値観の違いについて考えた…。

 そもそも、価値観ってなんだろう。

価値観の相違って、「互いの文化の違いに近いものではないか?」と私は思う。

文化とは、民族の社会風習、伝統、思考方法、価値観などの総称である。と書いてあった。

では、1人1人の文化はどうやって形成されるのか?

それは、「人間が社会の成員として獲得したあらゆる能力や習慣の複合的総体である。」と書いてある。つまり、

物心ついたときから、これまで生きてきた中で自然に身についたものだろう…

こう考えたとき、私と嫁は、生きてきた過程も違えば、今現在、大半を過ごしているコミュニティーも違う。

ましてや、単身赴任生活が続いていることで、互いの異文化交流の機会に恵まれない。

かっこいいことを書いてしまったが、嫁との関係で、これまで一方的に押しつけの異文化交流であったことを忘れてはいけない…。

 

私は、厳格な父親のもとで育てられた。

母親は父に虐げられ、窮屈な家庭で育った…

父親が帰ってきた車の音で、家の中が暗くなるほどの家庭だった…

以前、母親と2人で話した時、育て方について謝られた事がある。

それは、「父親から、私を守ってあげることができなかった。」ということだった。

確かに、父親は絶対的だったので、理不尽に怒られることも多々あった。全てが父親のいうとおりだった…

そのこともあり、大人になって実家に寄り付くことは少なかった。

しかし、今こうして生活できているのも父親のおかげでもある。

私は、母親にそのことを告げ、何も気にしていないと伝えた…

ただ、1つ難がある。

文化という意味で、私が父親の文化を継承してしまったことだ。

つまり、似ていることだ…

 

文化は、認め合わなければ争いとなる……

これまで、その考えが無かった。

 

では、結婚当初どう考えていたのだろうか?

互いの文化が違うことは、わかっていたではないか

相手の、家庭を見てもおおよその検討はつくし

同棲生活もしていた。

なぜ、今更文化の違いで仮面夫婦になったのか?

それは、嫁がこれまで単に私の文化を受け入れる努力をしてくれたからだろう…

今は、違う。

そんな虐げられた生活に、嫁は辟易している。

結果、

閉店ガラガラ…

シャッターを閉ざしてしまった…

「あの時は、ゴメンね。」で済まないところまで来てしまったのだ。

今、こうして価値観の違いを改めて考えると、

自分の稚拙さを思い知る…

やはり、互いの文化を認め合い

より良い効果を生み出していかなければならない。

 

価値観の相違による離婚とは、こういうことなのだろうか…?

互いの傲慢さがもたらす結果なのか?

 

たとえ、今それが理解できたとしても手遅れだ…

黒ひげ危機一髪でいう、これを刺せば黒ひげが飛び出す状況に変わりない…

 

※両親との関係について…。

今は、近所に住んでいる両親の家に遊びに行くことが増えた。

両親が歳取ったせいもあるが、

私が嫁と折り合いが悪いこともあり、暇つぶしに、「うってつけ」のところもある…。