tyunen-otoko’s diary

夫婦関係の修復

22.玄関先まで見送る夫婦の割合54%について考える…。

「行ってらっしゃい!」  …   嫁。

「行ってくるよ。」         …  旦那。

結婚当初、私の夢だった…。

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いつから、我が家の潮目が変わったのだろう……

我が家に欧米化の波が押し寄せているのか…?

 

結婚当初、嫁は専業主婦であり、さらには

子供がまだいなかったことで、このような「お見送り」の文化が我が家にもあったと記憶している。

しかし、今じゃ、皆無だ…

かろうじて、家を出る際の挨拶は残っている。

しかし、

忙しさにかまけて「行って来ます。」「行ってらっしゃい。」すらも交わさないときがある…。

 

子供は出かける際、母親が「行ってらっしゃい。」と言うまで、「行ってきます!」をキレ気味で何回も繰り返す…。

高校3年生にもなってカワイイ奴だ…。

しかし、なぜ娘はそこまで挨拶を重んじるのだろう??

おそらく、それは習慣からくるものだと思う。

幼い頃から、そういう教育を受けたことで、それをやらないと気持ちが落ち着かないのだろう…

私も例外なく、そのように育てられた。

 

しかし、私の場合、

出勤のときの、「行って来ます。」に対して、嫁の「行ってらっしゃい。」が無かったら、

子供のように「行ってきます!」を何回も言えない。

それはちょっと格好が悪いのではないか…?

しかし、気持ちが悪いまま出かけるのは、子どもと同じだ。

 

なんだろう……この感じ……

朝の星座占いで、最下位になったあと外出する感じ…??

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ちょっと違うなぁ。

どちらかといえば、既読無視の切ない思いに近い…

 

話しを元にもどそう…。

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これは、玄関までのお見送り率だ。

2007年のデータで、全国の30代、40代男女(774人サラリーマン家庭)を対象としたアンケート結果である。

こんな、データがある事に驚きである!

ちょっと古いデータなので、現在に直すと、40代、50代といった感じだろう…

つまり、私もこの中に入ってくる。

おそらく、この年代は両親の影響もあり、その伝統を継承している世代だろう。

これを見ると、かろうじて半数以上の夫婦が「サザエさん」のような生活を実現している…。

(玄関までお見送りしている!)

 

英語圏ではどうだろう?

調べてみると

このような決まった挨拶は存在しないみたいだ。この言葉に変わる、言葉はあるそうだが、

場合によって、使い分けるらしい。

残念だが、私は、外国の文化に触れたことがないのでどういう状況か想像できない。

もしかすると、日本よりもあったかい見送り方が存在しているのかもしれない。

機会があれば詳しく調べたい…。

では、なぜ日本人はこのような決まった挨拶をするのだろう??

さらに、

なぜ私は、この「行ってらっしゃい。」「行ってきます。」の挨拶以上に、見送って貰うことを、望んでいるのだろう??

 

元来、「行ってらっしゃい」や、「行ってきます」には、言霊的な意味合いがあり、「無事に帰ってください」や「必ず戻ります」ということを表現する言葉であったらしい。

「男は敷居を跨げば7人の敵あり。」といった時代背景から来たものなのか…??

私の生きている現代では、そういった危険は無い。

しかし、この「行ってらっしゃい」や「行って来ます」の言葉に残っている、相手を思う愛情は今でも変わりなく続いている気がする…

 

見送ってくれる人がいて、きちんと見送りたい人がいる。

この「愛情のやり取り」、「心を通わせること」が「行ってらっしゃい」なのだろう。

 

「だから家族である私達は、きちんと挨拶をしたいんだな…。」納得できる。

では、見送りを玄関まですることに関してはどうだろう…?

多分、それは最上級の愛情表現なのだろう…

お母さんが子どもを見送るとき、曲がり角を曲がるまで見送ってくれる。

「見守っている。」と言った方が、正解な気がする。

私の幼少期を思い出すと、

泣き虫だったせいもあり、角を曲がり母親の姿が見えなくなると、涙が自然に出ていた。

泣きながら、学校へ行ってたことを思い出す…

 

ということは、玄関まで見送って欲しいと思う気持ちは、甘えん坊の証しなのか…?

単なる「かまってチャン」なのか…?

おそらく、そうだと思う。

 

残念ながら現実問題として、子どもを大学に行かせるために、共働きしてる我が家では、お互い朝からかまっている余裕は無いのかもしれない…。

 

ただ、心を通わせる「挨拶」だけは、

大切にしていこうと思う…。