tyunen-otoko’s diary

夫婦関係の修復

25.受験生の子を持つ親の気持ち…。

先日、高校3年生の娘と大学受験に関する、進路について2人で、話した。

娘はこの話しになると、私を煙たがる…

その原因は、娘が希望する夢「保育園の先生」を私があまり快く思っていないからである。

 

私は、娘が1人で生きていくことも想定している。

そこで、保育士の給料の安さが気になる…

退職金制度もおそらく無いに等しいだろう…。

娘の時代では、年金もどうなっているか分からない。

という事は、身体が動けるうちは働いて、なんらかのトラブルがあった場合は、生活保護受給者になるのか??

結婚して夫婦共稼ぎが大前提か??

極端な話しだが、娘の将来が不安である……

 

私も状況は同じで、身体を壊せば明るい未来が無い。生活は破綻するだろう…

 

しかし、娘はずっと健康であることが大前提である。

娘が夢に向かうことは、大事なことである…

しかし、そもそも、その夢って??

高い山(夢)を登ることができないから、妥協しているのか?

そもそも彼女は、夢を目指して高校受験した訳でも無い。行ける高校を選択して受験している。

今回も同じだろう。

行ける大学、その中で選択しているのだろう…

 

私は、高専を卒業して、現在の会社に勤めている。

私の高専受験は失敗だった。それは、第三希望で提出していた土木科にしか受からなかったからだ。

はっきり言えば、土木科に引っかかった 

と言った方が正解である…

ちなみに、第1希望は機械、第2希望は情報関係だ…

しかし5年間の学生生活を終え、今現在第三希望の土木の道を生業として生きている。

現在の職業は、私にとって天職だと思ってやってこれた。

つまり、

やるべき事をがむしゃらに続けることで、やりたい事に変化して行く過程を身を持って経験した。

何でも一生懸命やれば満足感を得ることができるということだ…

さらに言えば、人間の欲求を満足することができると思う。

したがって、娘も同様に保育士を天職とすることも可能だろう…。

しかし、

娘が志望する大学は4年制である。

姪は、短大を卒業して保育士になった。

そもそも、4年制の大学を出て保育士?

っという、私の思いもある。

さらに、

娘の話しからも、短大と4年制大学を卒業して保育士になる差も分からない…

娘は、大学を出て公務員の保育士になると言っているが、私の調べでは20倍の倍率である。

非常に狭き門なのだ…。

 

そんなのに合格できる人は、もっと志が高いだろうし、大学は選び放題だろう…。

 

こういう内容の話しをするものだから、娘は煙たがる。

しかし、子を思う親の立場からすると、

自分の将来を真剣に考えて欲しいものである……。

 

私は、人生って「最高の幸せを何回感じることができるか?」だと思っている。

したがって、娘の幸せを潰すようなことは、絶対避けなければいなけい。

 

どんなアドバイスがいいのか?

ほっとけばいいのか?

そもそも、「私の子どもだから…」

っていう諦めもある…

 

しかし、介護といい、保育士といい、

給料がホントに安い。

牛丼戦争と似た感がある…。

24.家庭での躾問題。どこまでが躾で、どこから親のエゴなのか…。

「しつけとは、人間社会・集団の規範、規律や礼儀作法など慣習に合った立ち振る舞いができるように、大人が子どもに対して訓練すること。」とある。

この、しつけに関する夫婦の認識の差により、しばしば問題が生じる…。

幼少期は、「やっていいこと。」「やっちゃダメなこと。」など単純なしつけが主であった。

私も、押入れに放り込まれたり、外に放り出されたり

よく、泣いて母親に謝ったものだ…

こう考えると、

私の家庭では、起こった事象に対して、母親は暴力的に私を教育していたのかもしれない。

まぁ、横柄な私には、

諭すやり方では、通用しなかったであろう…

しかし、

最近では、それを見た近所の人は、警察に通報するかもしれない…?

 

幼少期は、子どもに接する時間が長い母親が、率先してそれを行うことになるだろう…。

しかし、それは

子どもの成長に伴い、複雑さを増していく。

問題は、「しつけをすること」は、自由に伸び伸び育てることの対極にあるからだ。

つまり、

しつけを厳しくした方がいいと考える親と、伸び伸び自由に育てたい親との、間で育て方に差が生じる。

 

そもそも、

子どもが社会に出て、苦労しないようにすることが我々、親の目的であることに変わりはない。

あるいは将来子どもが、社会を構成する一員となるように、社会から子どもを預かっているという考えもあるだろう…。いずれにせよ、

夫婦が互いに、協力しあい子どもを育て(しつけを含め)なければいけないことは明確である。

 

しかし、個々の

躾に対する考え方は千差万別で、主に、

育った環境や、色々な資料から得る知識、さらには、他者からのアドバイスにより、それは構築される。そのため、

しつけに対する思想は、個人個人で別々の文化となる。

 

基本的な食事のマナーについても互いに意識が違うし、片付けや、時間管理についても夫婦間で認識の違いが生じる。

ハウツー本を読めば統一することができるだろうか…??

しかし、文化を構築するマニュアルというのは時代によって変化するだろうし、正解があってないようなものだと思う…?

 

躾は、簡単なものから並べて、

「食事の際の姿勢。」とか、

「自分の使用したものは自分で片付ける。」とか、「起床や寝る時間、学習の時間などの規則正しい生活をする。」

などがある。

基本的なことは、夫婦間で共通認識を持つことが可能だろう…

しかし、

それを、どの年齢から言うのか?

優しく指導するのか?あるいは、厳しく指導するのか?男親の役割であったり、母親の役割であったり

非常に複雑で難しい…。

 

個人が子どもの振る舞いから受ける感情にも、(違和感?、不快感?印象?など)差があるだろう…。

夫婦は、明るい子どもの未来を望むことは同じである。しかし、そこに至るプロセスが異なる。

上述の単純な例えでさえ、なかなかうまくいかない。

注意の回数が増えれば、高圧的にもなるだろうし、

場合によっては、本来のしつけと乖離し、暴力的になることもあるだろう…。

 

たった今起きた事例だ…

母親がヒステリックに大学生の娘を叩き起こす…

私は何も言わないが、心の中では大人なんだから自己管理は、責任もって個人が行うべきだと思っている…。

以前の私なら、「ほっといたら。」と言ってただろう。すると嫁は、「私を睨み付けるだろう…」

なので今は、なにも言わない…

 

ここで、過去の私の反省すべき点は、

夫婦で育て方に違いはあれど、「統一感を持って子どもを教育する。」ことができたか?

である…

私の考えるしつけは、

片方の親が子どもを注意すれば、もう片方は、優しくその意味を説くなど、方個性を統一してやりたかった。

それが、子どもの文化になり、その文化は、違う文化と交わることで、新たな文化に発展したらいいと思っていた。

 

しかし私達夫婦の場合、双方気が強く

夫婦が互いに文化の違いを認め合わず、仲違いした状態で、子育てをした…。おそらく、子どもは困惑しただろうし、この家族で生活していることを幸せに感じただろうか??

特に、我が家は単身赴任家庭ということで、方個性の統一が難しかった……

 

例えば、子どもの箸の持ち方にしても、私が赴任先から戻ったときはちゃんとできる。しかし、次に帰ったときには、またおかしな持ち方をしている。

 

嫁は、私の前では注意してたが

普段の生活では注意しないのだろう。。

 

「厳しくしつけしたい私。」「いつか出来ると思う嫁。」

それを、私が意固地に厳しくしたとき夫婦喧嘩が始まってしまう…。

この乖離をどう埋めていけば、統一性を持って子どもを育てることって可能なのか?

よその家庭は、どのように教育しているのだろう?

 

悩みは、解決しないまま子どもは来年成人式を迎える…。

23.絶対に嫁の仕業…。

本日、出張から帰って来た。

最近は、ほぼ毎週帰って来ている。

いや、それ以上に家にいることが多い。

しかし、そのせいで

今月の手当てが減額になり、来月の生活をどうしようかと考える…

おそらく、14万円引かれるであろう。

仕事をしてないから、しょうがないが…

いや!そんなことは、どうでもいい。

 

冷静でいられない異常事態が発生した!

私の家は戸建て住宅で、80平米程度の無理矢理4LDKコンパクト住宅だ。

仮面夫婦ということもあり、寝室は当然別である。

私は、元々夫婦の部屋として使用していた2階の一室を占領しており、

嫁は、子供部屋の一室(妹の部屋)を占拠していた。

しかし最近、年頃になった妹が嫁に猛抗議し、妹は部屋を取り戻した。

その結果、嫁はその部屋を追い出され、しぶしぶ1階のリビングの隣ににある4.5畳の部屋で寝ている…。

(ほぼ、リビングである…)

 

しかしだ、今週一週間私が家を留守にしていたとき、嫁が2階の私が使っている部屋を使ってるではないか!

まぁ、それは全く問題ない。

1階は、リビングの隣だし環境が悪いので当然だと思う。

が、しかしだ!

問題は、ベッドの枕元に無香空間の特大サイズが置かれてるではないか!!

一応、私はファブリーズと無香空間をその部屋に置いている。(家族に気を使って)

しかし、枕元には置いてない!

しかも無香空間は、寝かして頭側に置いてあり、あきらかに嫁の鼻近くに置いてあることを想像させる!

私の臭いのを完全に防御してるではないか!

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私の枕は、当然近くのソファにぶん投げてある…

私が帰ってくるのだから少しは、配慮して頂きたい…。

いくら臭いとはいえ、失礼ではないか…??

とりあえず、無香空間に蓋をして元の位置に戻し、枕を定位置にセットした…

 

とはいえ、やはり加齢臭の現実を突きつけられたようで気分が凹む……💩

明日は、カラダをごしごし洗おう…。

22.玄関先まで見送る夫婦の割合54%について考える…。

「行ってらっしゃい!」  …   嫁。

「行ってくるよ。」         …  旦那。

結婚当初、私の夢だった…。

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いつから、我が家の潮目が変わったのだろう……

我が家に欧米化の波が押し寄せているのか…?

 

結婚当初、嫁は専業主婦であり、さらには

子供がまだいなかったことで、このような「お見送り」の文化が我が家にもあったと記憶している。

しかし、今じゃ、皆無だ…

かろうじて、家を出る際の挨拶は残っている。

しかし、

忙しさにかまけて「行って来ます。」「行ってらっしゃい。」すらも交わさないときがある…。

 

子供は出かける際、母親が「行ってらっしゃい。」と言うまで、「行ってきます!」をキレ気味で何回も繰り返す…。

高校3年生にもなってカワイイ奴だ…。

しかし、なぜ娘はそこまで挨拶を重んじるのだろう??

おそらく、それは習慣からくるものだと思う。

幼い頃から、そういう教育を受けたことで、それをやらないと気持ちが落ち着かないのだろう…

私も例外なく、そのように育てられた。

 

しかし、私の場合、

出勤のときの、「行って来ます。」に対して、嫁の「行ってらっしゃい。」が無かったら、

子供のように「行ってきます!」を何回も言えない。

それはちょっと格好が悪いのではないか…?

しかし、気持ちが悪いまま出かけるのは、子どもと同じだ。

 

なんだろう……この感じ……

朝の星座占いで、最下位になったあと外出する感じ…??

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ちょっと違うなぁ。

どちらかといえば、既読無視の切ない思いに近い…

 

話しを元にもどそう…。

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これは、玄関までのお見送り率だ。

2007年のデータで、全国の30代、40代男女(774人サラリーマン家庭)を対象としたアンケート結果である。

こんな、データがある事に驚きである!

ちょっと古いデータなので、現在に直すと、40代、50代といった感じだろう…

つまり、私もこの中に入ってくる。

おそらく、この年代は両親の影響もあり、その伝統を継承している世代だろう。

これを見ると、かろうじて半数以上の夫婦が「サザエさん」のような生活を実現している…。

(玄関までお見送りしている!)

 

英語圏ではどうだろう?

調べてみると

このような決まった挨拶は存在しないみたいだ。この言葉に変わる、言葉はあるそうだが、

場合によって、使い分けるらしい。

残念だが、私は、外国の文化に触れたことがないのでどういう状況か想像できない。

もしかすると、日本よりもあったかい見送り方が存在しているのかもしれない。

機会があれば詳しく調べたい…。

では、なぜ日本人はこのような決まった挨拶をするのだろう??

さらに、

なぜ私は、この「行ってらっしゃい。」「行ってきます。」の挨拶以上に、見送って貰うことを、望んでいるのだろう??

 

元来、「行ってらっしゃい」や、「行ってきます」には、言霊的な意味合いがあり、「無事に帰ってください」や「必ず戻ります」ということを表現する言葉であったらしい。

「男は敷居を跨げば7人の敵あり。」といった時代背景から来たものなのか…??

私の生きている現代では、そういった危険は無い。

しかし、この「行ってらっしゃい」や「行って来ます」の言葉に残っている、相手を思う愛情は今でも変わりなく続いている気がする…

 

見送ってくれる人がいて、きちんと見送りたい人がいる。

この「愛情のやり取り」、「心を通わせること」が「行ってらっしゃい」なのだろう。

 

「だから家族である私達は、きちんと挨拶をしたいんだな…。」納得できる。

では、見送りを玄関まですることに関してはどうだろう…?

多分、それは最上級の愛情表現なのだろう…

お母さんが子どもを見送るとき、曲がり角を曲がるまで見送ってくれる。

「見守っている。」と言った方が、正解な気がする。

私の幼少期を思い出すと、

泣き虫だったせいもあり、角を曲がり母親の姿が見えなくなると、涙が自然に出ていた。

泣きながら、学校へ行ってたことを思い出す…

 

ということは、玄関まで見送って欲しいと思う気持ちは、甘えん坊の証しなのか…?

単なる「かまってチャン」なのか…?

おそらく、そうだと思う。

 

残念ながら現実問題として、子どもを大学に行かせるために、共働きしてる我が家では、お互い朝からかまっている余裕は無いのかもしれない…。

 

ただ、心を通わせる「挨拶」だけは、

大切にしていこうと思う…。

21.洗濯の際、旦那のパンツを分別する嫁…。

世の奥様方は、一体どれくらい旦那のことが嫌いになったら旦那のパンツを洗わなくなるのだろう…?

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先日、会社の同僚が嘆いてたことを思い出す…

その同僚は、結婚して7年くらい過ぎている。

幼稚園に通う長男と、その下に、生まれたばかりの男の子がいる。

同僚は、46歳。奥さんは、35歳。

奥さんは、美人である。

一見すごく恵まれた、幸せな夫に見える…

しかし、夫婦の実態はわからないものだ

その同僚が先日嘆いていた。

同僚はある日、嫁の洗濯作業で「見てはいけない物を見た!」と言うのだ。

それはなんと、

自分の分だけ、家族と分けて洗われていたことだ!

相当なショックを受けたらしい…

それだけなら、まだ、ガマンできたそうだ。

出来た同僚である…。

ただ、同僚が許せなかったのは、自分の分だけ

「時短設定」で洗われていたことのこと… 

当然、嫁に文句を言ったそうだ

しかし、どう文句を言う??

「おい!時短ってどういうことだ!」か??

私なら、膝から崩れ落ちて終わりだろう…

 

なんだろう…せつない……。

 

どんだけオヤジって邪魔者なんだろう?

 

夫婦の生活って、オヤジにとって、こんなに残酷なものなのか…??

 

幸い、うちの嫁はパンツを含め私の汚れ物も家族と一緒に洗ってくれる。

 

一方、

私が洗濯機を回す時は、自分の分だけにしている。

それは、私が嫁の下着を触ることで、「彼女が不快な思いをするだろう」と私が配慮しているからである。

一応、

私は、嫁にうんこパンツと見破られないように

全てのパンツを黒にしている…

私は、そうした配慮を怠らない…。

 

夫婦お互いが、不快な思いをしない生活をどう工夫するか?

私達オヤジに与えられた大きな課題である…💩

 

20.価値観の違いってどういうこと…。

離婚の原因となる価値観の違いについて考えた…。

 そもそも、価値観ってなんだろう。

価値観の相違って、「互いの文化の違いに近いものではないか?」と私は思う。

文化とは、民族の社会風習、伝統、思考方法、価値観などの総称である。と書いてあった。

では、1人1人の文化はどうやって形成されるのか?

それは、「人間が社会の成員として獲得したあらゆる能力や習慣の複合的総体である。」と書いてある。つまり、

物心ついたときから、これまで生きてきた中で自然に身についたものだろう…

こう考えたとき、私と嫁は、生きてきた過程も違えば、今現在、大半を過ごしているコミュニティーも違う。

ましてや、単身赴任生活が続いていることで、互いの異文化交流の機会に恵まれない。

かっこいいことを書いてしまったが、嫁との関係で、これまで一方的に押しつけの異文化交流であったことを忘れてはいけない…。

 

私は、厳格な父親のもとで育てられた。

母親は父に虐げられ、窮屈な家庭で育った…

父親が帰ってきた車の音で、家の中が暗くなるほどの家庭だった…

以前、母親と2人で話した時、育て方について謝られた事がある。

それは、「父親から、私を守ってあげることができなかった。」ということだった。

確かに、父親は絶対的だったので、理不尽に怒られることも多々あった。全てが父親のいうとおりだった…

そのこともあり、大人になって実家に寄り付くことは少なかった。

しかし、今こうして生活できているのも父親のおかげでもある。

私は、母親にそのことを告げ、何も気にしていないと伝えた…

ただ、1つ難がある。

文化という意味で、私が父親の文化を継承してしまったことだ。

つまり、似ていることだ…

 

文化は、認め合わなければ争いとなる……

これまで、その考えが無かった。

 

では、結婚当初どう考えていたのだろうか?

互いの文化が違うことは、わかっていたではないか

相手の、家庭を見てもおおよその検討はつくし

同棲生活もしていた。

なぜ、今更文化の違いで仮面夫婦になったのか?

それは、嫁がこれまで単に私の文化を受け入れる努力をしてくれたからだろう…

今は、違う。

そんな虐げられた生活に、嫁は辟易している。

結果、

閉店ガラガラ…

シャッターを閉ざしてしまった…

「あの時は、ゴメンね。」で済まないところまで来てしまったのだ。

今、こうして価値観の違いを改めて考えると、

自分の稚拙さを思い知る…

やはり、互いの文化を認め合い

より良い効果を生み出していかなければならない。

 

価値観の相違による離婚とは、こういうことなのだろうか…?

互いの傲慢さがもたらす結果なのか?

 

たとえ、今それが理解できたとしても手遅れだ…

黒ひげ危機一髪でいう、これを刺せば黒ひげが飛び出す状況に変わりない…

 

※両親との関係について…。

今は、近所に住んでいる両親の家に遊びに行くことが増えた。

両親が歳取ったせいもあるが、

私が嫁と折り合いが悪いこともあり、暇つぶしに、「うってつけ」のところもある…。

19.急な飲み会での、御飯の連絡問題…

単身赴任先から、「明日家に帰ります。」と嫁に連絡する。すると、決まって「ご飯いるの?」とメールが返信されてくる。

なぜか、私は腹が立つ。

世の中のご主人は、なんとも思わないのだろうか?

わたしは、「いります。お願いします。」と返信する。

嫁の気持ちも、わからなく無い。

しかし、なぜか腹が立つ…。

腹が立つ原因は、なんだろう?

私が帰ることで、「嫁の負担は増える。」と私は自覚している。さらに、

嫁は、「私が帰ることを望んでない」ことも分かっている。

それは、私が過去に犯したDVによるものであるが…

おおよその奥様方も、単身赴任先からの旦那の帰宅を望んでないと思う…

現に、それが嫌で赴任先から帰宅しない人は結構いる。

そのことを踏まえ、「ご飯いるの?」と嫁に聞かれると、「ご迷惑お掛けします。」という気持ちになるのだ。

私の希望は、嫁と子ども達の中に自然に帰宅したい。

ご飯なんか、どうでもいい。

ただ、家に帰りたいだけだ。

急場しのぎの、レトルト食品でもなんでもいい。

しかし、相手からすれば旦那が帰る事は、自然ではなく、増える家事など負担でしかない。

 

急な飲み会での、「ご飯いらない。」という連絡も難しい…。

自宅から通勤したときの出来事だ。

急な飲み会に出席することになり、当日の夕方「今日、ご飯いりません。」と連絡をした。

その当時、LINEとかショートメールでは無く、電話連絡だった。

すると、嫁はガチギレする。

嫁曰く、「ご飯要らない。」の連絡は、前日に言って欲しいと言う。

「その日のテンションが変わる!」と嫁は主張するのだ…。

気持ちは、わかるけど「ご飯ってどんだけ負担なんだよ…」

急にそうなったんだし、しょうがないじゃん。

って私は思っていた。

互いに逆の立場になれないため、負担は想像つかない…。

 

3年前、ご飯問題について、とうとう嫁と口論になった。

私は、

「全てのご飯いりません。」

「単身赴任と同じ考えでいいです。」

「外食か、自分でやる。」と言った。

すると、嫁は、「わかったと。」言った。

 

現在、「ご飯いる?」と聞かれることは無い。

そもそも、会話も無くなった…

家にいるときは、常にご飯を作ってくれる。

私は、飲み会の予定や、出張の予定もできるだけ早く伝えている。

単身赴任先から帰宅の際は、私の方から「〇〇時に帰ります。ご飯お願いします。」とLINEするようになった…。

 

私は連絡について、気を使うようになったが、気分を害すことが無い。

嫁は、この状況をどう思っているのか??

私が「変人?」なのか…

今度、2人きりの食事会で聞いてみよう…。