11.カワイイ嫁…。
男は、バカだと思う。
いい意味で、ロマンチックでもある…
中年男の私も例外ではない。
むしろ私は、ロマンチックが旺盛な方である。
今もこうして、嫁との初夜を思い出し、“ほっこり”してしまう…ホントに情け無い…。
正直なところ、20年以上も前のことなので記憶にないが、そこに至るまでのやりとりは、薄っすら記憶している。
当時私は、女性の経験を済ませており、嫁が初めての女性ではなかった。
嫁と出会った頃、ある女性から追いかけ回されて、逃げ回っていた…。電話が鳴り続け、無視していたが、殺されるんじゃないかと心配していたのもこの時期だ。
この女性とは、後日きちんと別れることができた。
話しを本線に戻そう…
私と嫁は、2歳離れており嫁が2つ年上になる。生まれ月の関係で、私が19歳、嫁が20歳のときに付き合うことになった。
嫁は専門学校を卒業し、仕事を始めると同時に1人暮らしを始めたばかりだった。
一方私も、高校卒業のタイミングで親の計らいもあり、自宅から数キロ離れた場所で1人暮らしを始めていた。(五年制の学校のため、在学中である)
嫁のアパートと私のアパートは、1キロも離れていない。
おそらく、初めの出会いから、数日で嫁の家に遊びに行くことになったと思う…
当初、夜遅くまで嫁の家で話しをしても、自分のアパートに帰っていた。
私は、彼女を大切にしたいという思いから、すぐに男女の関係になることを望んでいなかったからだ。
といっても、彼女のアパートに行きだして7日間くらいの話しだが…
しかし、若い男女が7日間も何もしないで夜を過ごすとなれば健全この上ない…。
その7日間が経過した後、私が機能不全ではないかと嫁が疑いだした…。
確かに、自信はないが機能はしている…。
私は、「貴方を大切にしたいんだ。」という思いを伝え、初めての夜を迎えることになる…
その後については、記憶が無い。
ただ、彼女の部屋に行くまでの出来事を思い出す…
嫁のあとについて階段を上がって行く途中、見上げると、嫁がギンガムチェックのシャツを着ていた印象がすごく残っている。
その階段で、嫁が「汗をかいた…」と言うと、私が嫁の背中に手を入れ、彼女がすごく恥ずかしがっていたことを思い出す…
10.嫁との恋愛を思い出す…。
現状を打開する上で最も重要なことは、遠い昔に「嫁をすごく愛していた。」ということを徹底的に思い出すことである。
あの、愛おしいまでに好きだった嫁を思い出すのだ。
DV男の、身勝手な話しではあるが…
あの、楽しかった生活を思い出すことで、今は無い嫁の笑顔を思い出す。そして近い将来、嫁との会話で互いの笑顔を取り戻したい…。
しかし、それが実現するのか疑問がある。
①嫁は、私との関係改善を望んでいるのか??
②私にATMの役割だけを求めているのか??
おそらく、正解は後者である…。
私は今、嫁に対して何の感情もない。例えば、嫁の帰りが遅くなることを心配したり、ヤキモチのような感情も無い。会話もないような距離を保っているし、話す内容が見当たらない。
むしろ、嫁が家から出て行くのを待ってる状況である…。
ただ、浅はかな感情が1つある、「パンツ脱がしたら一気にいい方に転ぶのではないか!」
ということだ。
嫁にこの感情がバレたら、ものすごい勢いで軽蔑されるだろうが、リアルに私は考えるときがある…
嫁は、私に対して何の感情もないと思う。
なぜなら、私が視界に入ることを嫌がっているからだ。
つまり、私に対してマイナスの感情と言った方が正確であろう。
このような状況で、カワイイ嫁を思い出したところで何の意味があるのか…
もう、手遅れではないのか…
疑問は、尽きないが自分を信じて とびきりカワイイ嫁を思い出したい…。
9.出会い…。
嫁との出会いを思い出してみる…。
私は、中学を出て5年制の学校に通っていた。先に紹介したように私は女子に対して、冴えない学生生活を送っており、恋愛経験に乏しく、特定の人とお付き合いをしたことない。
それでも、アルバイトを通して知り合った女の子とデートしたり、ナンパして遊ぶこともたまにしていた。
そんな生活をしていた19歳のとき、嫁さんと出会った。
私の田舎では、車でナンパするスポットがある。運転している女の子と並走しながらをナンパする。今から思えばとてもアグレッシブなナンパ方法で、
走行しながら声を掛け、お互いフィーリングが合えば、遊びへと発展する。
はたして、今でもそんな所があるのだろうか?
おおよそ昨今の草食系男子とは程遠い…
そこに集う女子は、ブスかとんでもないヤンキーであったことを記憶している…
逆に言えば私も同じだろうが…
私は、しばしば友達とそのナンパスポットに行っていた。
私は不良でないため、そのスポットに足を踏み入れることは、危険を伴う。まして、私はその当時車の免許を持っていない。
つまり、助手席に乗り込み、女の子に声をかける切込み役を買って出ていた。なので、女子に声を掛けたら男子が隣にいるなど、絡まれることもあった。
そんな中、嫁と知り合うきっかけとなる出来事があった。
いつものように、2人の女性をナンパして駐車場で連絡先の交換をした。だいたいナンパして即どうこうのは無い。いまどきのナンパと同様、連絡先を交換して、後日、遊びに行くことになる…
私はその当時、イケメンの男子と遊んでいた。
その友達はモテ男であったため、2人の女性のうちカワイイ方とお付き合いをすることになった。
その女の子は、その場にふさわしくないカワイらしさで、のちに別の男性と玉の輿婚を果たしている…。
つまり、私はとんでもないブスを相手に遊ぶことを強要されていた。
そのブスがアグレッシブで「何でも買ってあげる。」とか言ってスリ寄ってくる。
私も貧乏学生であったため、近寄ったのは事実である…
本線に戻そう…。
私の嫁は、このカワイイ方の女友達である。
カワイイ女子とブスは、職場のつながりだと思う。
嫁とカワイイ女子は、学校つながりである。
ある日、2人のナンパした女性が、私の1人暮らしの家に遊びに来た。その時、私の家の近くで1人くらしをしていた嫁が自転車に乗って遊びに来た。
その時、嫁とはほんの少し話ししただけで、すぐに嫁は帰ったと思う。
後日、嫁とコンビニでばったり会った。
そこで私は、嫁に声を掛け居酒屋に誘った。
これが嫁との出逢になる…。
※後日、ブスと私の関係を、嫁からバカにされることになる…。
8.仕事について…。
私は、社会人1年生のとき、
正確にいうと現在の会社に就職して14カ月目に結婚式を挙げた。
この結婚式での出来事も、おそらく今も嫁が根に持ってるだろう…
このことについても反省しなければならないため、後に詳細を書くことにする…
結婚生活が始まったとき、私は22年の会社人生の中で、最も辛い時期であった。
私は、建設業に従事するサラリーマンである。
その当時、私は作業所の所長から、今で言うパワハラを受けていた。
使えない職員として扱われ、それを見ているパートの事務員にもバカにされる始末だった…
便所の壁を殴ってストレスに耐えたときもある…
また、常に頭痛に悩まされており、誤字、脱字などのケアレスミスをはじめ、ミスがミスを生み、悪いスパイラルから抜け出すことができない状況に陥っていた…
夜は、自己嫌悪で会社から逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。
朝は嫁に「背中を叩いてくれ」と玄関先でお願いしたこともある。
私の性格は、負けず嫌いで親分肌、面倒見も悪い方ではなく、むしろいい方だと自負している。
さらに、飽き性であるが、興味があることには積極的に取り組み、短期間で知識を得ようとする。一方、部活などの経験もなく人の話しを理解する能力に欠け、目から入る情報を身体で表現することが苦手である。言い換えれば、運動音痴な短気で瞬間湯沸かし器のような男である…
ただし、厄介なのがガラスのハートの持ち主である…。
このような状況でも、自宅に帰れば、嫁が迎えてくれ、ご飯やお風呂の用意、洗濯、掃除、全ての家事をこなしてくれる。
その当時
「会社での私の存在」と、「家庭での私の存在」の差に疲れると共に、嫁に恥ずかしい姿をみせたくない一心でもがいていたことを思い出す。
結婚生活半年目して転機が訪れた。
所長が、病気で救急搬送されたからだ。
その後、所長は1カ月の入院後、部署が変わったことにより、私はパワハラから解放されることになった。
それからは、トントン拍子に自信を取り戻し、今に至る…。
※その所長は、55歳くらいのときリストラされ62歳でこの世を去った…。
7.過去のDVについて…。
結婚してから、お互いにとってストレスな生活が始まった。
まずは、お金についてだ…
私は、嫁に給料全てを託すことで、どうしても家計に口を出すことが増えた。
しかし、嫁は大雑把な性格で家計簿を付ける意味に理解がない…
当時私は、切り詰めた節約環境の中で育った経験から、母親の実践していた家計簿の存在を信仰していた。
それを嫁にも求めていた結果、
貯金状況の確認。家計簿をチェックする生活が始まった。
ときには、頭に血が上って、家計簿を破り捨てたこともある…
だれもがそうであるように、チェックされることは精神的に害悪を伴う。さらに、私からの叱責を受けることになれば、なおさらである。
ましてや、知らない土地での生活である…
その時の嫁の苦労は、いまこうしてブログを書くことで、改めてうかがい知ることになる…。
今では、私も家計簿は「無意味」であると思っている。
おそらく、今現在家計簿は存在していないだろう…
しかし、当時は自分の考えを押し付けることが全てであった…。
当時私は「数年後に家を買う」という目標があり生活を切り詰めることを全てとしていた。
嫁も全く無駄遣いをしていなかったが、さらに切り詰めるように私は、求めていた。
かと言って、私自身が購入物を含め、我慢していたとを思い返すことはない…。
つまり、すべての節約を嫁に押し付けていたと言える。
結婚して1年くらいは、家計簿についての揉めことが多かったことを記憶している。
揉めると言っても、私が一方的に癇癪を起こし「蹴ったり、頭を叩いたり」足にアザができたこともあったと思う…
自戒の念を込めて
この部分を明確にするべきだが、
今、事実を嫁に確認することは恐ろしい…
単身赴任の寂しい中年…。
1.自己紹介…。
私は、42歳既婚の中年男だ。
体型は、痩せ型。
服にはこだわりがあり、自分で言うのもなんだがめっちゃオジさんっぽい感じではない…。
仕事は建設業で、勤続22年が過ぎようとしている…
子供は、大学生と高校3年生の女の子2人。
子供とは、良好な関係が築けており、たまの買い物デートを楽しんでいる。
結婚した当初は、家族で転勤しながら生活していた。しかし、子どもの小学校進学を転機に単身赴任生活となった。
かれこれ、13年になる…。
私は、これといった趣味は無く、たまの飲み会や買い物、仕事でストレス発散する毎日である。
休日は、スマホをいじって1日が終わるという虚しい休日を過ごしている…
ただ、社内規定により月1回の帰省が許されている。その時を楽しみに、13年間過ごしてきた。
2.ブログを始めるきっかけ…。
私の気持ちや、普段の生活を明け透けに公開することで、読んで頂いた方に「アリやな…」とか、「それはナイわ…」を判断していただくと共に、アドバイスを頂きたく、ブログを始めることにした。
3.もうちょっと自己紹介…。
私は、学生時代冴えない男で高校2年で童貞を卒業した。その後、19歳で嫁と出会い半同棲を経て21歳で結婚した。
先に書いように、子どもができてからは毎日楽しく生活していたのだが、嫁からの提案もあり、上の子が7歳になってからは単身赴任生活となった…。
大事なことを書き忘れていたが、私は亭主関白で結婚当初、嫁に対してDVとジャッジされることも、たくさんしたことがある…。
子どもができてからは、そのようなことは無いと自覚している…。
私は、単身赴任になって、浮気をするこもあったが、あくまでも浮気で、家族といる時間が一番好きだった。
嫁は、2つ上の姉さん女房で、美人とは言わないまでも清潔感があり身だしなみにこだわる女性である。
とくに、子育てが終わった今では、自分磨きに没頭しており、休日は自分磨きの旅(エステは金銭的な理由から行けない。)で終日自宅にいない。
嫁は、パートで介護関係の仕事をしており、月12万程度の収入があると聞いている…
セックスレスになってから15年が経過した。
いや、正確に言えばその間に1回チャレンジしたこたことがある…
4.出来事…。
6年ほど前の出来事である…
私は、長女の高校受験で異常なくらい神経質になった。さらに、自身の仕事が夜勤務になったことや、不倫関係がこじれたこと、などからパニック障害になり、診療内科に2年ほど通院したことがある。
この時私は、電話で嫁に対して日常的に暴言を吐くようになっており、普段の会話は、非常に少なくなっていた。
なので、心疾患について、嫁からさほど心配されることなく、いつも通りの単身赴任生活を送ることになっていた。
診療内科に通っていたこの時期、私は、「送金するだけの存在」に嫌気がさし、嫁に離婚の申し出をしてしまった…。
嫁からは、「わかった。」との回答を得られたが、子どものことを考え、踏み留まることになった。
しかし、夫婦間には、どえらい溝が生まれ、これを機に、全く会話がなくなってしまった。
5.現在の生活…。
今現在も、私の単身赴任生活は続いている。
結婚当初は、小遣い制(6万/月)であった。
しかし、一昨年前から嫁の抵抗を押し切り、毎月嫁の口座に39万を振り込んで、その余りを私の小遣いとすることにした。
また、ボーナスは、年2回38万振り込んでいる。
月々の振込は、税金、住宅ローン、学費、全て込みなので、私が試算しても
おそらく、ギリギリの生活費であることがうかがえる。
私は、変わらず月1回帰省しているが、その日は
嫁はパートで、私とバッティングしないようになっている…。
帰宅の連絡は、私からLINEで行う。すると、嫁から「分かりました。」の返信があり、ご飯を用意してくれる。
そのご飯を、高校生の娘と2人で楽しく食べる。
私は、食後2階に上がり、自分の部屋でくつろいだり銭湯に行ったりしながら、たまの休日を過ごしている。その間に嫁は、帰宅している…。
6.ブログを書くことで…。
ざっと自己紹介を書いてみたが、私の性格の歪みを露呈する内容になってしまった…
私は今、悩んでいる。
このまま、子供が自立した後も仮面夫婦でやっていくのか?
もう一回、新たなパートナーを見つけてやり直すのか?
自己の反省も交えながら今後の生活をブログにつづることで、人生をゆっくり考える時間にしていきたい…。